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山羽虎夫の胸像が移転、除幕式が執り行なわれました

昨年(2022年)、日本自動車殿堂の殿堂者入りとなった日本初の国産蒸気自動車を製作した山羽虎夫の胸像の移転除幕式が5月2日に行なわれました。山羽虎夫は1874(明治7)年岡山県生まれ。当時の最先端であった電気技術を学び、地元で電機工場を設立。1903年に大阪博覧会で外国製の自動車を初めて見て、岡山で乗合自動車事業を始めたいという地元の資産家の森房造と楠健太郎の依頼により、約半年月の期間を費やして国産初の蒸気自動車を完成させました。
そして、119年前の1904(明治37)年5月7日、初の国産蒸気自動車の試運転が、現在の岡山市の表町から京橋を渡り、新岡山港の近くまで約10キロの行程で行なわれました。その功績をたたえ、1954(昭和29)年には、岡山城の烏城公園のお堀端に胸像と記念碑が建立されました。
今回、地元の岡山市表町商店街・地元町内会・地元企業の名士の方々で結成した顕彰プロジェクトの方々が、この山羽の功績をより多くの方に知ってもらい、地域を盛り上げようと、試運転で渡った山羽とゆかりのある京橋の近くへの胸像の移転を提案され、実現したものです。
式典当日は、日本自動車殿堂の表彰状とトロフィーも飾られ、岡山市の大森雅夫市長をはじめ、山羽虎夫の曾孫の方々も来られ、盛大に除幕式が執り行なわれました。山羽虎夫の胸像の隣には、同じく日本で初めて空を飛んだと言われる鳥人幸吉(浮田幸吉)の記念碑もあり、陸と空で日本初を成し遂げた二人の岡山県人の碑が並ぶことになりました。
胸像が移転した京橋の森崎稲荷の周辺は、毎月、京橋朝市が開催され賑わう場所で、山羽虎夫の工場跡地が残る岡山表町商店街にも近くなりました。また、地元の自動車愛好家により山羽虎夫の試運転ルートを走る「パイオニアラン」が試運転から90年目にあたる1995年から5年ごとに開催されています。

式典会場に並べられた日本自動車殿堂の表彰状とトロフィー。



岡山商科大付属高校の生徒たちが2年がかりで制作した2/3のサイズの山羽式国産蒸気自動車のレプリカモデルも展示された。


式典の出席者の方々。


山羽虎夫の曾孫・山羽真二氏の挨拶。



序幕の瞬間。


山羽虎夫像を前に除幕式出席者の記念撮影。表彰状とトロフィーを持たれているのが山羽虎夫の曾孫(山羽真二氏、齊藤真氏)、その(向かって)左が大森雅夫岡山市長。



京橋に移った山羽虎夫像。

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