大倉喜七郎(おおくら きしちろう)略歴
1882(明治15)年 | 6月16日東京生まれ(父喜八郎氏の長男)。 |
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1900(明治33)年 | 学習院予備科、初等学科を経て、慶應義塾幼稚舎、正則中学を経て、イギリスのケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに留学。 |
1907(明治40)年 | 7月6日、英国ブルックランズの自動車レースで2等賞に入る。 |
1910(明治43)年 | 日本初の自動車団体「日本自動車俱楽部」を結成。 |
1911(明治44)年 | 4月、川崎競馬場でマースの飛行機と自動車での競走に勝つ。 |
1912(大正元)年 | 「喜七」を「喜七郎」に改名。 |
1922(大正11)年 | 以降、父親に代わり帝国ホテル会長に就任。 |
1924(大正13)年 | 日本棋院を設立。 |
1930(昭和5)年 | イタリアのローマで開催された「日本美術展覧会」を全面支援、同時代の日本画を海外に紹介。出品作より主な作品を、理事長を務めていた「大倉集古館」に寄贈。 |
1931(昭和6)年 | 私財を投じて札幌大倉山ジャンプ競技場の建設。 |
1936(昭和11)年 | 川奈ホテルを設立。 |
1937(昭和12)年 | 赤倉観光ホテルを設立。 |
1962(昭和37)年 | ホテルオークラを設立。 |
1963(昭和38)年 | 2月2日逝去。(享年80歳) |
賞歴
1963(昭和38)年 | 2月5日、従三位勲一等瑞宝章を受章。 |
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